2012年4月5日木曜日

トイレットペーパーの三角折りに見る礼儀、且つそれに係る認識の相違によって起こりうる曲解のおそれについて心理学的見地から考察という名の妄想

トイレで用を足した後、トイレットペーパーを三角折りするのは上品なマナーに思えるけども、実際のところは、掃除した人が「清掃済み」の印として折るものらしく、用を足した人が折るのはマナー違反だそうです。なぜなら、折る時点では手を洗ってなくて不潔だから。と、唐突に誰にも求められてないどうでもいい話を書いてみる。

もし自分で折るのであれば、後の人が安心できるように「私は手を洗ってから折りました」とトイレットペーパーに書いておけば解決するではないか。と、以前に誰かのブログで見た記憶がある。確かにその通りで、用を足して個室を出て手を洗ってから舞い戻ってきて私はトイレットペーパーを折ったのです、どうかご安心くださいませ……こういう主張をするにあたって一筆は有効と思われます。

でも、そこまですると逆にうさんくさいですね(トイレだけにくさいとか! ぶぶっ!)。いざトイレットペーパーを使おうとしてそんな文字を目にしたら引きそう。いくら前の人の厚意だとしても、そんなトイレットペーパーは使いたくない。

というか、どうせ後から手を洗うんだから、洗ってない手で折られてようが別にいいじゃんとも思う。細かいことを気にしすぎですよ。と、細かいことを気にする人が申してみます。

あっ、逆に考えるとですね。用を足して手を洗っていない状態でトイレットペーパーの先端(要するに次の人が最初に使うあたり)をペタペタと触り、あえて折らないトラップを仕掛けるのも可能と言える。前述の通り、三角折りになってれば「清掃員の人が折ったのならいいけど、もしかして前の人が折ったのかも?」と疑念を抱く人がいるでしょうが、三角折りになってなければそんな意識すらせず普通に使うわけで、まんまと不潔なトイレットペーパーを使わせることができます。例えるならば、好きな女の子のタテ笛をこっそりなめておいて、後日その子が何も知らずに笛をくわえるのを見て心の中で快哉を叫ぶ小学生みたいなものかな。念のためだけど経験談ではないです。

ただ一つ残念なのは、そんなトラップを仕掛けたところで誰も得しないことですが、世の中いろんな人がいますから、こういう意味のない行為に情熱を傾ける人がいないとも限らない。明日から、トイレで三角折りになってないトイレットペーパーを見たら、「もしかしてこれ、用を足した人が仕掛けたトラップであって、本当は不潔な手で触りまくってるのではないか」と疑ってみてはいかがでしょうか。

しかし、疑うだけ無駄なのは確かだ。というか、こんなどうでもいい日記を真剣に書いてる自分の見識を疑いたいよね。ははっ。

今日の日記もどうでもよすぎると思うんだけど、まあ、そこはあれです。水に流す感じでお願いします。そう、トイレだけに!