2010年6月2日水曜日

ツイッター卒業なう

ツイッターでよく見る「なう」が嫌いだ……。

ずっと放置してるけど、いちおうツイッターやってます。興味本位で始めてみたものの、今や全然更新?していない状況。どうでもいいようなことをつぶやく意義を見い出せません。たぶん、もう更新することはないと思われます。

何より違和感があるのは「○○なう」って言い回し。なうは英語の「Now」で、「今ここにいるよ」や「今これやってるよ」などを表すものだそうです。「お好み焼きなう」や「仕事なう」という風に使われるんだけど、あれがどうしようもなく気持ち悪い。何なの「なう」って。

「フォロワーが増えてきたらおもしろくなる」や「何となくのゆるい横のつながりがいい」など、ツイッター肯定派の方々には申し訳ないのですが、僕はツイッターのおもしろさがわからないまま卒業します。いや、本当に、つぶやく意味が全然わかんないので……。ツイッター風に言うと「ツイッターを卒業なう」でしょうか。そして今、僕はブログ更新なうですね。

どうでもいいけど、うな重を食べてるときにつぶやいたら、「うなぎなう」と回文になるではないですか。おお、卒業したのにすごい発見をしてしまった。どなたか、うな重を食べてるときにつぶやいてみてはいかがでしょう。

風が吹いてる谷にいたら「風の谷のなう」ですが、僕の人生において、そんな谷へ行く機会はないでしょうねたぶん。

ついでに、ブログ更新なうの後は、おそらく日課の自慰なうとなりますが、これも「おなう」と略すことができるではありませんか。うーん、またもやすごい発見をしてしまったけど、間違いなく何の役にも立たないのが残念です。いいひらめきなうだったのに。

あ、こんなくだらない空想ばかりしてると、人生における有益な時間を損なう。まさに損なう。

文面から推測できる通り、この話のまとめどころに困ってるなうですが、どうせツイッターを卒業なうだから、なうなう言えるのも最後なうであって、でもさんざん否定して書くなうしてると、なぜか不思議となうに愛着がわいてくるなうだけどやっぱりお別れなう。さようならなう。

「喜んで!」

スタッフが「喜んで!」と叫ぶのって、最近の流行なんでしょうか。

この前、とある焼肉店へ行ったんですよ。席に案内されて座って、生ビールを頼んだら「はい、喜んで!」と返されてびっくり。その後も何かあるたびに「はい、喜んで!」を連発されて違和感を覚えた次第です。あれ、どう見てもおかしいって。

「『喜んで!』って言ってるけど、実際は喜んでないんでしょ?」とは聞かなかったけど、そう感じるのが自然ではないでしょうか。元気に言われれば言われるほど空々しすぎて鳥肌が立ちます。

「お店のマニュアルなんだから、スタッフは言わされてるだけだ。そんな、本当に喜んでるかどうかなんてどうでもいいだろ。ていうか、嫌なら行かなきゃいいじゃん」と、マジ突っ込みを自分で入れると話が終わるけど仕方ない。結論が出たところで、短いですが終わりにしましょうか。

無理やり続けてみますと、「喜んで!」というのは「喜ぶ」感情を表現しているわけですから、「悲しんで!」や「苦しんで!」があってもおかしくないよなぁ……ぐらいか。あっ、「ウザがって!」もいいかも。「この忙しいのに何回も呼びつけるなよ!」といった感情を率直に表す言葉です。とは言え、注文したときに、店員さんから「ウザがって!」と威勢よく返されたら腹が立つとは思いますが。

え? 結論が出てるんだから、ぐだぐだと書き連ねずにもう終われって?

はい、喜んで!

2010年6月1日火曜日

させていただきますは嫌いとさせていただきます

昨今、語尾に「させていただく」を付けるのが一般的な敬語になってますね。これに対して「間違ってるだろ!」と主張するつもりはありません。日本語は時代とともに変わるものだから仕方ない。とは言え、安易に「させていただく」を付ける人は嫌いです。

「させていただきます」と付けておけば敬語っぽく聞こえるし、何にでも付けられるし、便利なのはわかります。でも、「とりあえずへりくだってますよ~、フフン」感をかぎとってしまうから好きにはなれません。あまりにも連発されるとイライラしませんか。

僕が言いたいのは、安易に「させていただく」を使う人たちって、「はいはい、とりあえず自分がへりくだっとけばいいんでしょ」と、心の中では舌を出してるのではないかと疑問を投げかけさせていただきたいってことです。言葉に気持ちがこもってないというか薄っぺらいというか、また妄想させていただいてるわけですが、世間にはびこる「させていただく」には平素よりうんざりさせていただいてますから、意を決して書かせていただきました。この調子だと、「させていただく」を使わないと敬語にならない社会が到来させていただくのではと憂慮させていただき、「させていただく教」に洗脳された信者への警鐘とさせていただきます。

そう、恐れているのは、「させていただく」を付けないと敬語にならない事態。「する」の謙譲語は「いたす」ですから、という主張が少数派になると終わりで、いくら正論を吐いても、「『させていただく』を付けないと敬語に聞こえない人」が多数派になればそっちが正しくなりますよね。これ、近い未来の話になりそう。

ところで、先日携帯ショップへ行ったときの話です。対応してくれた女性店員さんが、もう典型的な「させていただく人」。「お電話をお預かりさせていただいてもよろしいでしょうか?」「はい、ではお預かりさせていただきます」「電話番号をお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか?」「ご本人様の確認をとらせていただきます」。途中で「がああああ!」と叫びたい衝動に駆られたけど持ちこたえられてよかった。いちおう、外面はいい人なので。

もしかしたら、企業の接客マニュアルにそういうルールがあるんじゃないかと憶測してみましょうか。接客用語として「させていただきます、と言いなさい」と指導されていると。であれば、前述の「『させていただく』を付けないと敬語にならない社会」というのは、もう現実となってるのだろうか……。いやだな、そんな社会。

あっ、下半身がだらしない女性(今風に言うと「性に奔放な女子(笑)」か?)は「させ子」と呼ばれますが、「させていただく」を乱発する女性もそう呼んではどうでしょう。「させていただくを乱発する子」を略して「させ子」で。させていただくさせていただくとうるさい女性に相対した際は、「ケッ、このさせ子め!」と心でさげすんでおけば多少はイライラも和らぐかもしれない。よし、今後試してみよう。

というか、われながら「させ子」ってうまいこと言っちゃった。いかがですか。あるいは今風に「サセージョ」なんていかがでしょうか。男性の場合は「させお」あるいは「させメン」でいいかな。

話があちこちに飛んだのでまとめますと、要するに「させていただく」が嫌いなんです! ということです。例によって、ひと言でまとまる内容を長ったらしく書くのが好きな人ですみません。あ、すみませんと言わせていただき、こんな感じでまとめさせていただき、本日の日記とさせていただきます。