2010年12月30日木曜日

「大掃除まだしてないんだよね~」

この時期、いたるところで飛び交う「大掃除まだしてないんだよね~」を耳にするたびに思うことを書きます。

さっさとすればいいじゃないかっ……! あるいは、しなきゃいいじゃないかっ……!

いや、マジで思いませんか。「大掃除まだしてないんだよね~」って、聞かされた側はどうすればいいか途方に暮れます。してないならすればいいじゃん。それがいやならしなきゃいいじゃん。

しかし、話はここで終わりであります。これ以上の展開が思い浮かびません。パターンとしては、「……まあ、かく言う僕も大掃除まだしてないんだよねぇ~」をオチに持ってくるのがいいんだろうけど、僕は大掃除どころか掃除が嫌いでしないので使えません。てなわけで、たまにはひねらずにあっさり終わるのもいいんじゃないでしょうか。

読者様ならお気付きの通り、先日の日記をコピペして改変してみましたがいかがですか。よくよく考えると、僕の主義主張なんてワンパターンですから、ほとんどがコピペで事足りるのではないかと疑念もよぎります。こと掃除に関しては本当に大嫌いだな……。どうせまた汚れるものを一時だけきれいにする意味がわからない。世の中に掃除ほど無駄な作業はないと思います。

と、二回続けて同じような内容で更新したのを省みつつ、次回「お正月の準備まだしてないんだよね~」に続きます。

2010年12月28日火曜日

「年賀状まだ書いてないんだよね~」

この時期、いたるところで飛び交う「年賀状まだ書いてないんだよね~」を耳にするたびに思うことを書きます。

さっさと書けばいいじゃないかっ……! あるいは、書かなきゃいいじゃないかっ……!

いや、マジで思いませんか。「年賀状まだ書いてないんだよね~」って、聞かされた側はどうすればいいか途方に暮れます。書いてないなら書けばいいじゃん。それがいやなら書かなきゃいいじゃん。これは以前にも書いた「全然寝てないんだよね~」に通じるものがあります。いやいや、寝てないなら寝ればいいじゃないですかっ……。

しかし、話はここで終わりであります。これ以上の展開が思い浮かびません。パターンとしては、「……まあ、かく言う僕も年賀状まだ書いてないんだよねぇ~」をオチに持ってくるのがいいんだろうけど、僕はもともと年賀状が嫌いで書かないので使えません。てなわけで、たまにはひねらずにあっさり終わるのもいいんじゃないでしょうか。

さて、夜もふけてきたことだし、粛々と日課をこなすとしよう。
今晩まだかいてないんだよね~

2010年11月29日月曜日

美貌男(笑)

美貌男と書いて「びぼお」と読むらしい……。

どこかのファッション誌発の造語だそうです。美貌男(びぼお)とは、肌のトラブルに気を遣ったりエステに通ったり、「美容感度の高い男」を差すということで。

以前の自分であれば、「はぁ? 美容とかオサレとか、女性が勝手にやってればいいんじゃね? それよりもこんなくだらない言葉を作らないでください! きぃ~っ」と、嫌いなんですのテーマに書いてたことでしょう。しかし、今となってはどうでもいいと思えてきたため、どうでもいい話にカテゴライズしてみましたがよろしかったでしょうか。どっちにしてもブログネタにはするんだけど。

うーん、美貌男で「びぼお」か。うまいこと言いますねというか、「美容感度」って何なんですかって気はします。しょせんはファッション誌だから、ギャグ雑誌としてとらえたので間違いないとは思うんだけども。にしても、美貌男ねぇ……。

まあ、どうでもいいのは確かなのでどうでもいい話をしますと、僕はさしずめ美貌男ならぬ「脂肪男(しぼお)」だな、あはは……という感じでしょうか。食欲が止まらず食べまくり、お腹まわりに着々と脂肪を蓄えております。おお、脂肪男(しぼお)だなんて、我ながらうまいこと言ったと思うんだけどいかがですか。メタボリックブームの世の中にぴったりですね。どっちかと言えばこれが流行ればいいのに。

ほかにも、若くて未熟な男性を「若造男(わかぞお)」、貧乏な男性を「貧乏男(びんぼお)」など何とでも言えるではないですか。薄毛に悩んで問題解決に取り組む男性は「育毛男(いくもお)」、どこででも立ちションする男性は「放尿男(ほうにょお)」です。僕も酔ったら放尿男になるのは反省すべき点でしょう。ていうか、それを言うなら自分には早漏男(そうろお)のほうがふさわしいよねハハハハハ……って、何を言わせるんだ!

それよりも、じい大好きな僕は「肉棒男(にくぼお)」とも言えますね!……って、美容感度っていうかどこの感度を高めてるんだと突っ込みつつ、やっぱり下ネタに展開する自分を褒めてあげるとしよう。言うに事欠いて「にくぼお」って! ああ、ブログにこんなことを書くのは楽しすぎる。

とは言え、女性読者の人気を得るのが絶望的なのは確かです。連絡が途絶えるどころの騒ぎじゃない。あっ、これぞまさに「絶望男(ぜつぼお)」とも言えますまいか……と、もうこのへんでやめときます。以上、「妄想男(もうそお)」の日記でした。

女性ならではの視点(笑)

「女性ならではの視点」というフレーズが嫌いです。あれ、気持ち悪くないですか。

一般的には、マンションの設計や新商品の開発時によく使われるんですかね。男性では気付かない、女性ならではの視点を活かして作りました……という。それはそれで全然いいと思います。いろんな視点で違う角度から検討するのは基本でしょう。でも、「女性ならではの視点」って、単に女性の視点ってことですよね。普通に「女性の視点」でいいじゃん。何となく、「女性ならでは」という言い回しに、女性を不自然に持ち上げようとする意図を読み取ってしまい不快になるんだよなぁ。「ならでは」って、いらなくないですか。

極端に言えば、「女性ならではの視点なんだから、突っ込むなんてナンセンスですよ? 女性の視点や発想を否定するなんて時代錯誤もいいとこじゃないですか?」という圧力を感じる。極端に言いすぎましたか。しかし、「女性ならではの視点」に突っ込むと、無条件で悪者になってしまう空気ありませんか。水戸黄門の印籠に近いものがありますよ。仮に視点がずれてたとしても、「これは女性ならではの視点ですから」「ははーっ! 女性ならではの視点でございましたか~っ……!」って、やっぱり極端に言いすぎですか。

まあ、昨今の異常とも言える女性賛美社会に生きる身として、いちいちこんなことでつまずいてたらキリがないのは確かです。たとえずれた視点であっても、女性のすることは「さすがですね!」と持ち上げる器量が必要なんでしょう。精進します。

それよりも、こんなどうでもいいことに違和感を覚えるのこそ、まさに「お好みソースならではの視点」と言えますね!

2010年11月19日金曜日

マツゲ・デラックス

まつげの長い女性を「マツゲ・デラックス」と呼んでみる。マツコならぬ「マツゲ」で。
このネーミング、いいと思いませんか?

あ、単に思い付きを書いてみただけです。この記事は特に広がりません。

無理やり展開するとすれば……そうだな、やたらと長いまつげはタワシみたいとか、刺さったら痛そうとか、長すぎてコントのキャラに見えるとか、どう書いても悪態になってしまうのが残念だけど事実だから仕方ない。「車高の低さは知能の低さ」って名言に倣えば、まつげの長さは知能に反比例してると言えますまいか。長ければ長いほど……です。

あっ! 今風に言えば「まつげハラスメント」でしょうか。まつげが長すぎて相手を不快にさせる嫌がらせです。マツゲハラスメント、略して「マツハラ」で! おー、これいいじゃん。うまくまとまってよかった。

思い付きを書いただけなのに、意外とデラックスな記事になってしまった。

2010年11月6日土曜日

「結婚できないんじゃなくて、結婚しないんです!」

この歳になると回りには既婚者が多いせいか、「結婚はまだなの?」と聞かれることがよくあります。そんなときは、「ええ、早くしたいんですけど、なかなかうまくいかなくて」と、適当に返答するのがスマートだと思いませんか。

たまにいるのが、「『結婚はまだなの?』って、いかにも私が結婚を望んでいるみたいじゃないですか! そもそも私は結婚するつもりがないんです!むき~っ」と激高する人。ほかには、そこまで逆上しないまでも「あっ、俺、結婚する気ないから」と、結婚には興味ないんですよアピールをする人もいます。いずれにしても、「結婚できないんじゃなくて、結婚しないんです」と殊更に訴える姿は、見ていて何だか痛々しい。たとえ本心じゃなくても「早くしたいんですけどねぇ~」と頭をかいておくほうが世の中は円滑に回るのではと思います。幸いなことに、最近は「婚活」という便利な言葉がありますから、「婚活中でぇっす」と公言しておけば済む話ですよね。

え? 何を言っても負け惜しみに聞こえる? 結婚できない男の言い訳は聞き苦しいって? そんな、負け惜しみとか言い訳とかじゃなくて、自分は結婚したくないだけですから。

いや、ちょっと、本当だってば! 僕は結婚できないんじゃなくて、結婚しないんです! むき~っ!

2010年11月5日金曜日

自分の配偶者を「嫁」と言う男性が気持ち悪い

まあ、タイトルの通りなんですけども。この歳になると回りには既婚者が多いせいか、よく耳にするフレーズではあります。でも、「ウチの嫁」だの「俺の嫁」だの、聞くたびに寒くなるのはなぜなんだろう。うーん、嫁ねぇ……。

「『嫁』という字は『女』が『家』と書き、女性が家にいるべきという思想であって時代錯誤も甚だしい! これは差別です! きぃ~っ」と、フェミニストみたいに頭の悪い主張をするつもりはありません。ジェンダーの見地はどうでもよくて、生理的に受け付けないだけなんです。ああ、いったい何なんでしょう、この違和感の正体って……。

さらに気持ち悪いのは「嫁さん」とさん付けをする男性。よ、嫁さんて……。「ウチの嫁さんがさぁ」なんて言われると、なぜかこっちが恥ずかしくなって赤面してしまいます。あとは、「相方」も最近は市民権を得てきてますかね。これも「相方さん」とさん付けされたりもしますが、嫁と同じくいずれにしても気持ち悪い。別に、配偶者をどう呼ぼうが当人の勝手なんだろうけど、僕はどうしても嫌悪感を覚えてしまうなぁ……。

「じゃあ、お前はどう呼べば気持ち悪くないんだ」という突っ込みにお答えしますと、そうだな……普通に「妻」でいいんじゃないでしょうか。あるいは「奥さん」も無難ですかね。「奥さん」だと普通に受け入れられるのに「嫁さん」に鳥肌を立ててしまう理由はわかりません。本当に、何となくとしか言いようがない。

逆に、僕がもし結婚したとしたら、対外的には何て言おうかな、やっぱり「奥さん」か、あるいは「○○ちゃん」と名前で言うか。でも「○○ちゃん」とか言ってバカップルと思われたらいやだから、控えめに「妻」がいいかなぁ……。へりくだって「愚妻」もいいけど、話し言葉として一般的じゃないから、「ぐさい」とか言っても伝わらないおそれもあります。どうせへりくだるなら、今風に「夫をさせていただいておりますお方」と、許可を得て夫という立場におらせていただいている相手です……と謙虚なのもありか。でも長い! うう、悩むところだ。あああどうしよう! って、結婚できてから悩めよって感じですかそうですか。

しかし、こんなこと書いてると、結婚できない男の負け惜しみと思われそう。いや、間違いなくそうとられますね。「自分が独身なものだから、『嫁』と言ってる男性がうらやましいんでしょ?」あたりでしょうか。であれば、タイトルは「自分の配偶者を『嫁』と言う男性が気持ち悪い」ではなく、「自分の配偶者を『嫁』と言う男性が気持ち悪いとブログに書く男性が気持ち悪い」が適切だったのだろうか……。

2010年10月24日日曜日

「女の子は3千円でええやん」

コンパへ参加した場合、「女の子は3千円でええやん」と言い出す男性がたまにいますが意味がわかりません。ていうか、そんなやつは死ねばいいのにと思う。

具体的に説明しますと、例えば3x3の6人で2万4千円だった場合、ひとり4千円できっちり割り勘できるのに男性が多めに出すケース。自分が幹事なら絶対にしないけど、残念ながら前述のような世迷言を垂れる男性はこの世に多数存在します。意味不明すぎるんですけど、あれって何なんでしょうか。「24000÷6=4000」を暗算できないほど頭が悪いのかどうなのか……。

百歩譲って、コースではなく単品で注文した場合ならわからないでもない。一般的に言われる「女性より男性のほうが飲み食いするから」といった理屈に当てはめて、じゃあ男性が多く払うよ……なら理に適ってると思います。自分の食べた分は自分で払う感覚ですね。しかし、飲み放題でひとり4千円コースでも、無理やりに「男性が5千円で女性が3千円」と差をつけたがる神経がわかりません。いったいどういった了見なんだろう。「じゃあ女の子は3千円で…」などと幹事が言い出したら、「なんで3千円やねん!」と「いや、そもそも、女の『子』じゃないから!」の突っ込みが心中で交錯するのがいつものパターン。結局はどちらも口にできないんですけど……。

たぶん、男性の見栄なんだと思います。女性の前ではいい格好をしたいのだと。あるいは、男性が多く払うのが当たり前と認識してるのかもしれません。いずれにしても、幹事がそう思うのは勝手だけど、ほかのメンバーを巻き込むなと申し上げたい。多く払いたいなら多く払えばいいのに自分ひとりで。なぜ男性陣を巻き込もうとするんだ。いわゆる「価値観の押し付け」ってやつじゃないのか。

……と、勢いで書いてみましたがいかがでしょうか。週末にコンパを控えてる身として前フリの感は否めませんが、けっこう本心が入ってたりもします。だいたい、この女尊男卑の世の中、これ以上女性を優遇しなくたっていいじゃん。社会で女性様が崇められてる時代だからこそ、せめて草の根的には正論を吐いて生きたいという抵抗みたいなものでしょうか。まあ、そうするとモテない現実はありますが、それも「恋愛至上主義(笑)」ってやつへの抵抗ということで。僕は左手があれば幸せです。べっ、別に、負け惜しみじゃないんだからね!

ああ、何だか愚痴っぽくなってしまった。というか前フリが壮大になりすぎた。賢明な読者様ならおわかりと存じますが、もちろん週末のコンパでは「じゃあ、女の子は3千円でいいよ~」とさわやかに仕切る予定ではあります。世の中ってそんなものだ。いやー、週末が楽しみだなぁ……。

あとは、相手の女性陣が当ブログの読者様じゃないことを祈るのみです。

2010年10月23日土曜日

断捨離(笑)

「断捨離(だんしゃり)」という言葉があるらしい……。

先日知った聞き慣れない三字熟語です。調べたところ、どうも最近はやっている造語みたい。以下、an・an(笑)のサイトから引用しますと、「断捨離とは、自分とモノとの関係を問い直し、不要・不適・不快なモノとの関係を『断ち・捨て・離れ』ということ。つまり、思い切ってモノを手放すことで、空間・時間・エネルギーにゆとりが出て、それが気持ちのゆとりにつながる。引き算の法則で人生の停滞を取り除き、新陳代謝を促すのです。あなたも『断捨離』で新しい人生をはじめてみませんか?」とのことです。

この「断捨離」って、僕の嫌いな要素がこれでもかと詰まってて、まさにネタにしてくれと言わんばかりだな……。空間(笑)だのエネルギー(笑)だの、引き算の法則(笑)だの新陳代謝を促す(笑)だの、人生の停滞(笑)だの新しい人生(笑)だの、ひと言で言えば「バカですか?」でしょうか。スピリチュアル臭とスイーツ臭の入り混じった香ばしさで鼻が曲がりそうです。ついでに、どことなく宗教と似た部分を感じるのは気のせいではあるまい。

どうでもいいけど、「自分とモノとの関係を…」の「モノ」はなぜ片仮名になってるのか。「モノ」とか「コト」とか「ココロ」とか「カタチ」とか「コトバ」とか、やたら片仮名で書きたがる人ってたまにいるけど、頭悪そうに見えて仕方ない。それがイマドキでステキなコトだとしても、バカマルダシでミットモナイとオモイマス。

おっと話がそれた。ちなみに、断捨離を行う人は「ダンシャリアン」と呼ばれるらしい。うーん、ダンシャリアンねぇ……。オバタリアンとかジャイアンを連想してしまうのは致し方ないところではあります。パリジェンヌをもじって「ダンシャリーヌ」とか、「断捨離女」と書いてダンシャリージョと読ませるとか、もっとほかに言い様があったのではないでしょうか。「断捨離女子」や「断捨離ガール」よりはマシかもしれませんが。「断捨離男子」と韻を踏むのはオサレでいいと思うけど、こんなくだらないことに飛びつくのはたぶん女性が多いだろうから需要はないかも。あ、露骨に書いてしまったけどまあいいや。

ていうか、断捨離って定義自体が矛盾してませんかね。「断ち・捨て・離れ」を説く断捨離そのものが断捨離できるじゃん……と、身もふたもない突っ込みを入れてみよう。「断捨離を断捨離」です。でも、結局は個人の自由だから、やりたい人は勝手にどうぞってことで。

そんな感じに、例によって流行を否定してみましたがいかがでしょうか。いったい何なの断捨離って……と、さんざん否定して書き進めるごとに不安がよぎります。そう、この日記自体が壮大な前フリであって、数ヵ月後には断捨離にはまり、部屋の掃除をしてゴミが大量に出ただけなのに「断捨離なう♪」とか嬉々としてブログに書いてる気がしてならない。うわー、いやすぎる!それだけはやめてくれお好みソース!

かく言う自分は、某知人にもらったオナホールさんとの関係を見つめ直しています。これも一種の断捨離か。使いたい欲望を断つ。不要なもの……っていうか、使ったものは捨てる。そして愛着はあるけど離れるべく取り組んでいます。「その前に、ブログに下ネタを書くのを断捨離すればいいのに」と頭をもたげましたが、一部ファンがいらっしゃるらしいので不本意ながら書いている次第です。ふう、読者様の期待に応えるのも楽じゃない。いつも時間を無駄にしてのご愛読ありがとうございます。今後もひまな読者様のため身を粉にして執筆いたします!

「まず断捨離すべきは、お前の過剰な自意識じゃね?」ですかそうですか。ああ、自意識過剰ですみません。

2010年9月11日土曜日

メスネコの恥部

e9184bff0c09d3b11c9727030135c5d6.jpg

ペットよりもオナペットが好きなお好みソースですこんにちは。休日の昼下がりに自宅でごろごろするのは幸せすぎる。

写真は薄汚いメスネコの耳です。汚い耳の穴を全世界のみなさまに見られるとは、なんて恥ずかしいメスネコなのだお前は……。実際に汚いので、少し湿らせたティッシュを穴に突っ込んでやると、気持ちよさそうに目をつぶってゴロゴロ言ってるのがまた腹立つ。ご主人様に手間をかけさせて平然としてるとは、出来の悪いメスネコだな本当に!

2010年9月3日金曜日

女子ハラスメント

先日、とある女性が「私たち女子はぁ~」と連発してる場面に出くわして、いやいや、あんた女子じゃありませんから! と心の中で突っ込み疲れて死にそうになったお好みソースですこんにちは。もうね、以前から口酸っぱく言ってるけども、いい歳した女性は「女子」じゃないんだってば。

で、最近になってやっと気付いたこと。僕が抱いている嫌悪感は、「女子」って言葉自体ではなく「『女子』を自称する人」に対してのものではないか……。

「女子」という言葉が嫌いなのは確かだけど、女性誌のコピーで使われるのは許容範囲です。「○○女子」やら「○○ガール」やら、耳あたりのよい言葉を作るのは仕事の一環だろうしね。「30代女子」なんてスットンキョウな言い回しも、読者へのリップサービスと考えれば合点がいく。しかし、それを真に受けて「女子」と自らで言っちゃう、「『女子』を自称する」行為に不快感を覚えるんですねたぶん。

「30代女子」などと意味不明な言葉は、あくまでも女性誌の中だけに存在し得るのであって日常に持ち込む言葉ではない。それなのに、「私たち30代の女子はぁ~」と普通に使ってしまうだなんて、ずうずうしいというか厚かましいというか。まさに「厚顔」って表現が適切でしょうか。

さらに恐ろしいことに、「40代女子」なる言葉にも出会ったことがあります。見た途端に動悸が激しくなって倒れそうになったのは冗談としても、シャレの通じない読者には悪影響を及ぼすだろうな、と他人事ながら懸念したのは記しておきます。願わくは、自分の余生において「私たち40代の女子はぁ~」とか言い出すおばさんとかかわりませんように。

「『女子』という言葉は女性全般を差す正しい用法なのだ。『女子トイレ』や『女子バレー』と使われるではないか。もっと勉強して出直して来い」などと的外れな批判はお控えください。それは重々承知のうえで、最近流行している「女子」は明らかに「女の子」の意味を内包してるからウザイのだ。と主張している次第です。

しかし、僕がここでいくら吠えても、「『女子』を自称する人」は今後も増え続けるはずです。この状況を放置すると、日本の良き文化である「謙遜の美学」の荒廃に繋がりそう。

例えば、30歳の女性がいるとします。コンパやパーティーなどで自己紹介をする際には、「30歳です。すみません、おばさんで」と謙遜したうえで、相手の男性から「いえいえ、お若いですよ~」と返されるまでがスマートな社交辞令ではないでしょうか。そこを「30歳の女子です」なんて放言しちゃうと相手はどうしようもないですよね。「は、はぁ」と呆然とするほかありません。ドラクエ風に言うと「おんなAは おたけびをあげた!」「おとこは おどろき とまどっている!」です。こんな自己紹介はされたくない。

謙遜の文化うんぬんは大げさにしても、「『女子』を自称する人」に不幸にも相対したら前述の通りどうしようもない。単なる嫌がらせとしか思えないこの構図、セクハラやパワハラに似てると思いませんか。「当人の意思は関係なく、相手が不快に感じればセクハラ」理論を適用すれば、これは立派なハラスメントとなり得るでしょう。だって、目の前で「女子」とか言われたらこっちは不快なのだから。言わば「女子ハラスメント」、略して「ジョシハラ」ですかね。

こうなると「女性同士の自己満足なんだから別にいいじゃん」という理屈は通りません。当人の意思はどうあれ、被害者が不快であればハラスメントは成立するのです。今後は「私たち女子はぁ~」とか寝言をほざかれた場合、「それ『ジョシハラ』ですから! 精神的苦痛を与えないでください! きぃ~っ」と返すようにしよう。そうしよう。

かく言う自分は、ブログを読んだ人を不快にさせるのが得意です。言うなれば「お好みソースのブログハラスメント」ですね!

2010年8月7日土曜日

メスネコの恥ずかしいシーン

ed5cca3784b608b0282fc25bce77279f.jpg

写真は薄汚いメスネコです。人前で堂々と用を足すなんて、なんて恥ずかしいメスネコなのだ……と書きたいがために、わざわざ撮影してブログに載せる自分のほうが恥ずかしいのではといった疑念は拭えませんがいちおう言っておきます。この、恥ずかしいメスネコめ!

2010年7月29日木曜日

薄汚いメスネコのテーマ

3a7b4ed31fd09c57a7dac67906ced8c9.jpg

薄汚いメスネコテーマの記念すべき一発目です。単にペットを載せて「かわいい~っ」と思われたいだけの所業のくせに、特に意味もなく目線を入れてみました。見せたいのか見せたくないのかどっちなんだYO! というか、一年ぐらい体を洗ってないから本当に薄汚くなってます。この、薄汚いメスネコめ!

2010年7月3日土曜日

感動をもらいました!

ここ数年、テレビや新聞などで「○○選手の活躍に感動をもらった」や「戦う姿に勇気をもらった」など、感動や勇気を「もらった」という表現をよく見ますが、あれはおかしいと思いませんか。感動するのも勇気を出すのも自発的なことであり、「もらう」わけじゃないですよね。

なんだろう、この、「感動をもらっちゃ、いかんどう」「勇気をもらったなんて、言う気?」などと寒いダジャレを棒読みしたくなるような感覚は。「感動した」「勇気が出た」ならわかります。しかし、「もらった」とするのはどうにも違和感がぬぐえない。

別に屁理屈をこねてるわけではなくて。「屁理屈をこねてるわけではなく」と弁明するのがすでに屁理屈であるとも言えますが。いや、本当に、感動や勇気って「もらう」ものじゃないですよね。日本語としておかしいのもあるけど、それ以上に、何だか他力本願な姿勢が透けて嫌悪してしまいます。感動や勇気は与えてもらうものであると。

それに、能動側は「感動を与えよう」「勇気を与えよう」なんて思ってないだろうし、受け手が勝手に思い込んでるだけですたぶん。似たようなのに「感動をありがとう」もありますね。こう書いてると、これらの表現って空虚だなとあらためて感じる。

テレビや新聞は仕事だから仕方ないにしても、それらに感化されて「感動をもらった」と何の疑いもなく使ってる方々には違和感を抱かざるを得ません。「感動した」ではいけないんでしょうか。あ、もしかしたら、「テレビのアナウンサーが『感動をもらった』などとおかしい日本語を使っているという感動をもらった」という皮肉が込められてるのかも。たぶんないだろうけど。

「感動をもらった」と言ってる本人が満足なら構わないじゃんって気はします。でも僕からすると、そんな表現を日常生活で使っちゃう人こそ感動ものだよ……と、うまくまとまりましたか。ああ、よかった。このワンパターンな構文には我ながら感動を抱かずにいられません。

以上、みなさまに感動を与えたくて書いてみましたので、感動をもらってもらえませんか?

今年は土曜夜市へ行きましたか?

「『今年は土曜夜市へ行きましたか?』と聞かれるのってウザくない?」と同僚に聞いてみたら、「それ、前と一緒のパターンですよね」とあっさり見透かされてショックを受けているお好みソースですこんばんは。前にも似たようなの書いてて、「相手が夜市へ行ったかどうか知りたいわけでもないのに、不必要に関心を示そうとして思わず口をついてしまう言葉」だから嫌いなんでした確か。それと同じことでしょうね。

あっさりと結論が出てしまったではないですか。もっとぐだぐだと書きたかったのに。

それにしても、土曜夜市か……。「あんな人ごみの何が楽しいの?(笑)」とバカにしてるのは、裏を返せばひがんでるからと言えなくもありません。行く相手がいないってことで……。あれはやっぱり、女性と一緒に出かけるから楽しいんですよね(さすがに「ひとり夜市」を楽しむ自信はない)。きれいな女性と手をつないで歩いたり、浴衣は一段ときれいだねと褒めて顔を赤らめる相手を見て自分もちょっと照れてみたり、歩きつかれたからたこ焼きでも買って食べようと路地に入ってからあーんしてとお互い食べさせたり、ソースが鼻の頭についてるぞアハハッと人差し指でソースを触ってぺろっとなめてみたり、お前って本当おっちょこちょいだよなぁと額にソフトタッチのデコピンかましたり頭を優しくポンポンと叩いてみたり……してみたいんです!

というのは冗談で、やっぱり土曜夜市は嫌いだ。出かける人の気が知れません。って、何の話だっけ。「今年は土曜夜市へ行きましたか?」がウザイんでしたっけ。こう書いてると、そんなのどうでもいいじゃんという思いが頭をよぎるのだけど、そろそろ適当にまとめましょうか。このブログはある意味ワンパターンですから、文末に「ところでみなさん、今年は土曜夜市へ行きましたか?」などと書いて終わるんでしょうねたぶん。

あっ、自分でオチを予測してしまった。しかも当たりそうだよどうしよう。

てことで、たまには趣向を変えて、本音を文字にしてみましょうか……。では、いつもの覇気のない文章ではなく、熱い気持ちを込めた心の叫びをどうぞご高覧ください。

「どなたか、僕と一緒に土曜夜市へ行ってくださいませんか。年収400万円以上で身長170センチぐらいでSっ気があって包容力と甲斐性があって容姿端麗で頭脳明晰で品行方正で才色兼備な女性なら条件は問いません。どうかよろしくお願いします」

2010年6月2日水曜日

ツイッター卒業なう

ツイッターでよく見る「なう」が嫌いだ……。

ずっと放置してるけど、いちおうツイッターやってます。興味本位で始めてみたものの、今や全然更新?していない状況。どうでもいいようなことをつぶやく意義を見い出せません。たぶん、もう更新することはないと思われます。

何より違和感があるのは「○○なう」って言い回し。なうは英語の「Now」で、「今ここにいるよ」や「今これやってるよ」などを表すものだそうです。「お好み焼きなう」や「仕事なう」という風に使われるんだけど、あれがどうしようもなく気持ち悪い。何なの「なう」って。

「フォロワーが増えてきたらおもしろくなる」や「何となくのゆるい横のつながりがいい」など、ツイッター肯定派の方々には申し訳ないのですが、僕はツイッターのおもしろさがわからないまま卒業します。いや、本当に、つぶやく意味が全然わかんないので……。ツイッター風に言うと「ツイッターを卒業なう」でしょうか。そして今、僕はブログ更新なうですね。

どうでもいいけど、うな重を食べてるときにつぶやいたら、「うなぎなう」と回文になるではないですか。おお、卒業したのにすごい発見をしてしまった。どなたか、うな重を食べてるときにつぶやいてみてはいかがでしょう。

風が吹いてる谷にいたら「風の谷のなう」ですが、僕の人生において、そんな谷へ行く機会はないでしょうねたぶん。

ついでに、ブログ更新なうの後は、おそらく日課の自慰なうとなりますが、これも「おなう」と略すことができるではありませんか。うーん、またもやすごい発見をしてしまったけど、間違いなく何の役にも立たないのが残念です。いいひらめきなうだったのに。

あ、こんなくだらない空想ばかりしてると、人生における有益な時間を損なう。まさに損なう。

文面から推測できる通り、この話のまとめどころに困ってるなうですが、どうせツイッターを卒業なうだから、なうなう言えるのも最後なうであって、でもさんざん否定して書くなうしてると、なぜか不思議となうに愛着がわいてくるなうだけどやっぱりお別れなう。さようならなう。

「喜んで!」

スタッフが「喜んで!」と叫ぶのって、最近の流行なんでしょうか。

この前、とある焼肉店へ行ったんですよ。席に案内されて座って、生ビールを頼んだら「はい、喜んで!」と返されてびっくり。その後も何かあるたびに「はい、喜んで!」を連発されて違和感を覚えた次第です。あれ、どう見てもおかしいって。

「『喜んで!』って言ってるけど、実際は喜んでないんでしょ?」とは聞かなかったけど、そう感じるのが自然ではないでしょうか。元気に言われれば言われるほど空々しすぎて鳥肌が立ちます。

「お店のマニュアルなんだから、スタッフは言わされてるだけだ。そんな、本当に喜んでるかどうかなんてどうでもいいだろ。ていうか、嫌なら行かなきゃいいじゃん」と、マジ突っ込みを自分で入れると話が終わるけど仕方ない。結論が出たところで、短いですが終わりにしましょうか。

無理やり続けてみますと、「喜んで!」というのは「喜ぶ」感情を表現しているわけですから、「悲しんで!」や「苦しんで!」があってもおかしくないよなぁ……ぐらいか。あっ、「ウザがって!」もいいかも。「この忙しいのに何回も呼びつけるなよ!」といった感情を率直に表す言葉です。とは言え、注文したときに、店員さんから「ウザがって!」と威勢よく返されたら腹が立つとは思いますが。

え? 結論が出てるんだから、ぐだぐだと書き連ねずにもう終われって?

はい、喜んで!

2010年6月1日火曜日

させていただきますは嫌いとさせていただきます

昨今、語尾に「させていただく」を付けるのが一般的な敬語になってますね。これに対して「間違ってるだろ!」と主張するつもりはありません。日本語は時代とともに変わるものだから仕方ない。とは言え、安易に「させていただく」を付ける人は嫌いです。

「させていただきます」と付けておけば敬語っぽく聞こえるし、何にでも付けられるし、便利なのはわかります。でも、「とりあえずへりくだってますよ~、フフン」感をかぎとってしまうから好きにはなれません。あまりにも連発されるとイライラしませんか。

僕が言いたいのは、安易に「させていただく」を使う人たちって、「はいはい、とりあえず自分がへりくだっとけばいいんでしょ」と、心の中では舌を出してるのではないかと疑問を投げかけさせていただきたいってことです。言葉に気持ちがこもってないというか薄っぺらいというか、また妄想させていただいてるわけですが、世間にはびこる「させていただく」には平素よりうんざりさせていただいてますから、意を決して書かせていただきました。この調子だと、「させていただく」を使わないと敬語にならない社会が到来させていただくのではと憂慮させていただき、「させていただく教」に洗脳された信者への警鐘とさせていただきます。

そう、恐れているのは、「させていただく」を付けないと敬語にならない事態。「する」の謙譲語は「いたす」ですから、という主張が少数派になると終わりで、いくら正論を吐いても、「『させていただく』を付けないと敬語に聞こえない人」が多数派になればそっちが正しくなりますよね。これ、近い未来の話になりそう。

ところで、先日携帯ショップへ行ったときの話です。対応してくれた女性店員さんが、もう典型的な「させていただく人」。「お電話をお預かりさせていただいてもよろしいでしょうか?」「はい、ではお預かりさせていただきます」「電話番号をお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか?」「ご本人様の確認をとらせていただきます」。途中で「がああああ!」と叫びたい衝動に駆られたけど持ちこたえられてよかった。いちおう、外面はいい人なので。

もしかしたら、企業の接客マニュアルにそういうルールがあるんじゃないかと憶測してみましょうか。接客用語として「させていただきます、と言いなさい」と指導されていると。であれば、前述の「『させていただく』を付けないと敬語にならない社会」というのは、もう現実となってるのだろうか……。いやだな、そんな社会。

あっ、下半身がだらしない女性(今風に言うと「性に奔放な女子(笑)」か?)は「させ子」と呼ばれますが、「させていただく」を乱発する女性もそう呼んではどうでしょう。「させていただくを乱発する子」を略して「させ子」で。させていただくさせていただくとうるさい女性に相対した際は、「ケッ、このさせ子め!」と心でさげすんでおけば多少はイライラも和らぐかもしれない。よし、今後試してみよう。

というか、われながら「させ子」ってうまいこと言っちゃった。いかがですか。あるいは今風に「サセージョ」なんていかがでしょうか。男性の場合は「させお」あるいは「させメン」でいいかな。

話があちこちに飛んだのでまとめますと、要するに「させていただく」が嫌いなんです! ということです。例によって、ひと言でまとまる内容を長ったらしく書くのが好きな人ですみません。あ、すみませんと言わせていただき、こんな感じでまとめさせていただき、本日の日記とさせていただきます。

2010年5月3日月曜日

よろしくお願いしますのでよろしくお願いします

文末に「よろしくお願いします」がある文章がなんとなく嫌いだ。「『よろしくお願いします』ったって、何をどうよろしくお願いされればいいんだYO!」と思うからかな。文末の「よろしくお願いします」って、はっきり言っていらなくないですか。

別になくても意味は通じるのだから、無駄なことが嫌いな自分としては、「それ、いらないじゃん。ていうか、省けるものは省けばいいじゃん。少しは考えて書けばいいのに」と思ってしまう。あっ、わかった。嫌いな理由がわかりました。文末に「よろしくお願いします」が付いた文章って、何も考えずに書かれたように見えるんです。汎用性がある言葉だし、とりあえず無難だろうから書いておこう……筆者のそんな意図が透けるから嫌悪してしまうんでしょうねおそらく。

あっさりと解決してしまいました。よろしくお願いします。

ところで話は戻って、「よろしくお願いします」って便利な言葉ですね。何にでも使えますもの。「今日はよろしくお願いします」があいさつになるんだからすごい。「えーっと、『今日はよろしくお願いします』って、何をどうよろしくお願いされればよいのですか?」と素朴な疑問がわいても、逆に突っ込むのはヤボな行為ですから、「いえ、こちらこそよろしくお願いします」と返すのがマナーでしょう。お互いが「何をどうよろしくお願いされたんだろうか……」と思いつつも何となく成り立つコミュニケーション。こういった日本の文化が僕は好きです。よろしくお願いします。

それにしても、「よろしくお願いします」は本当に重宝します。「便利な言葉ランキング」があれば、上位にランクインするのは確実でしょうか。「よろしくお願いしたいのでよろしくお願いします」と繰り返しても成立する文章なんてほかにありません。もっと言えば、「よろしくお願いしたいのでよろしくお願いしたいのですが、何をどうよろしくお願いされればよいのかはあなたに判断をよろしくお願いしたいので、すみませんがよろしくお願いします」でも意味は通じますのでよろしくお願いします。

最近は、「よろしくお願いします」がツボになってて、ちょっと前に書いた「させていただく」と同じく、見るだけで笑える言葉と成り果ててます。よろしくお願いします。

どうでもいいけど、何でもかんでも文末に「よろしくお願いします」を付けるとバカっぽく見えませんか。知的なリーマンを目指す自分としては不本意ですが、よろしくお願いします。

こういうくだらない日記を書けるのは幸せです。よろしくお願いします。

そろそろ終わりますので、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

2010年4月3日土曜日

魔女ガール(笑)

最近よく聞く言葉に「○○ガール」があります。森ガールや沼ガールに始まり、ついには「魔女ガール」なんて言葉も出てきたようで……。

森にいそうな女性を「森ガール」と呼ぶそうですが、魔女ガールとはそれの進化系で、森ガールよりも森の奥深くに入り込んで自然を愛するスピリチュアルな女性を差すそうです。ひと言で感想を表すとすれば「はぁ」でしょうか。もしくは「へぇ」か。いずれにしてもどうでもいいのは確かだ。どうでもいいと言いながらもウザがる僕こそ「ウザがーる」なんちゃって、あは。

本当にどうでもいいのだけど、念のためどうでもいい突っ込みを入れておくと、「ガール」とは「女の子」の意ですから、そう呼ばれるのは18歳までです。そこだけはよろしく。

そしてさらにどうでもいい突っ込みを入れますと、「魔女ガール」って、「女」と「ガール」が重複してるぞ!

2010年3月3日水曜日

死んだ男子を逆さから読んでも死んだ男子

「『死んだ男子』って、逆さから読んでも『しんだだんし』になるじゃん! これ、マジやばくね? 超うけるんですケド!」

ふと思いついたけど、どうすればよいかわからず、とりあえずブログに書いてみる。友人に電話するほどでもないしねぇ……。

誰かの葬式に参列した際に、隣の人に教えてあげよう。そうしよう。

コンビニハラスメント

さっきコンビニに行ったら、また不快な気分にさせられた。あれはさすがにやりすぎだろう……。

内容はいつもの通りなので省略します。そして、なぜ自分はコンビニにここまで腹を立てるのかを考えて出た結論。それは「確認がウザったいから」ではないか。

「よろしかったでしょうか」や「させていただきます」や「~のほう」などの不自然な敬語は置いておきましょう。もともと、そこに怒ってるわけではないから関係ないです。それよりも、僕のイライラの原因は、「~してもよろしいでしょうか?」といちいち確認される点に尽きます。

「温める際に袋の端を開けてもよろしいでしょうか?」や「袋は温かいものと冷たいものを一緒にしてもよろしいでしょうか?」や「おしぼりは入れてもよろしいでしょうか?」や「お釣りが細かくなってもよろしいでしょうか?」などなど、そのつど「はい、いいえ」の返答をしなきゃいけないのが嫌なんです。そんなの、勝手にすればいいじゃないかっ……!

いや、これ、マジで思いませんか。「お釣りが細かくなってもよろしいでしょうか?」と聞かれて、「いやそれは困ります」って返答したところで、お釣りが細かいのしかなくてそう言ってるんだから、どうしようもないじゃないですか。この質問自体が無意味ですよね。「お釣りが細かくなりますが……」って断りながら渡せばいいだけじゃん。そうしてくれれば、はいもいいえも返答しなくていいからスムーズだと思うんだけども。

うーん。「よろしいでしょうか?」としつこく確認される行為を、ここまでウザったく感じるのは自分だけなんだろうか。

数少ない女性読者に質問です。男性とホテルへ行ったとして、「部屋はここでいい?」や「お茶を飲んでもいい?」や「服を脱いでもいい?」や「シャワーを浴びてもいい?」や「電気を消してもいい?」など、いちいち言葉にして確認してくる男性をどう思いますか。極端な例ですが、コンビニにおける自分の心境はそれに近いものがある。これで伝わるでしょうか。

憶測してみると、「温める際に袋の端を開けてもよろしいでしょうか?」って先に断っておかないと、後からギャーギャー騒ぐ客がいるかもしれないといった観点もあるのかな。そう考えると、コンビニに同情できるというか、もとはと言えば、そういったクレーマーが元凶なのかもしれません。

企業はサービスという価値を提供し、客はその対価にお金を支払う、いわば「等価交換」のはずなのに、なぜか「お客様は神様です」というフレーズが一人歩きしてる社会には違和感を抱かずにいられません。だから、客側になると態度が尊大になる人ってよくいるけど、僕はそんな人が大嫌いだ。って、話がそれました。こんなマジトークしても話はふくらまないですね。

とにかく、ことごとく確認されるのはウザさの極みなんです。コンビニも銀行のATMみたいに自動化すればいいのに。欲しい商品のボタンを押して買い物をする機械です。ただそうなると、機械音声で「ヨロシイデショウカ?」と同じことを聞かれそうな気もしますが……。それにイラついて「はい」ボタンを連射してる自分が見えます。想像するだけで笑える、いや、ウザい……。

このウザったいやり取りを回避するため、自分で先に言ってしまう手もあるかも。惣菜パンと冷たいコーヒーを買う場合、レジの前に立って「すみません、ポイントカードは持ってません。パンは温めお願いします。袋の端は空けていいですよ。で、おしぼりはいりません。あっ、袋は一緒に入れてもらってもいいですので……」と一気にまくし立ててから、おもむろにパンとコーヒーを差し出す。って、やっぱり難しいか。あぁ~、僕はいったいどうすればよいのでありましょうか。「そんなに嫌なら、コンビニへ行かなきゃいいじゃん」ですかね、やっぱ。

今風に言えば「コンビニハラスメント」であり、店員さんにその気がなくても、客が不快に感じるんだから立派なハラスメントである。と、セクハラの理不尽な定義「女性が不快ならセクハラ」を当てはめてもいいかも。略して「コンハラ」ですかね。セクハラ理論を適用して、「何なの、あの店員! 私がムカつくんだからこれはコンハラだわ! きぃ~っ」でしょうか。

しかし、これだけ「○○ハラ」という言葉が増えてきた昨今、「○○ハラ」って名前の人はびくびくしてるのでは。そのうち自分の名前とかぶるのではないかと、ちょっとだけ懸念している今日このごろ……。

あっ、確認なのですが、「そのうち自分の名前とかぶるのではないかと、ちょっとだけ懸念」してもよろしいでしょうか?

水道男子(笑)

節約のためペットボトル飲料ではなく水道水を飲む男性を「水道男子」と呼ぶらしい。

草食男子、スイーツ男子、弁当男子に続き、またバカバカしい言葉が作られてしまったか……。流行させたくても流行しないと思いますけども、いい加減うんざりさせられるのは確かです。水道水を飲んで「水道男子」って、ねぇ。

どうでもいいことに価値があるかのごとく見せて消費を喚起させたいのか、日常から一点だけを切り取って「いま、これがブーム!」とあおって経済効果を高めようとしてるのか知らないけど、いずれにしてもくだらない。って、ああ、この手のネタに過剰に反応する僕こそ、マスコミの思うつぼなんでしょうか。一番踊らされてるのは自分じゃないかって気がします。

以前からさんざん書いてるように、上記の理由よりは、「女性を女子と呼ぶ違和感を緩和するため」が真意だとは思ってるけども。水道男子や弁当男子など「男子」というフレーズを垂れ流すのは、「男性が男子だから、女性は女子である」理屈を正当化するため、「女子」の対概念として無理やり流行させようとしてるだけです。「○○男子」の「○○」に重要度はなく、単に「男子」を世間にはんらんさせたいだけの話なのだと。

にしても、水道男子ってなぁ。関西弁が嫌いな自分でも、関西芸人風に「そのままやないか!」と突っ込みたい気持ちでいっぱいです。そんなこと言い出したら、パンよりもお米が好きな「お米男子」とか、入浴が好きな「風呂男子」とか何とでも言えますよね。果ては、檀紙町に住んでたら「檀紙男子」となるじゃないですか。高松市民にしかわからないローカルネタで失礼します。

マジレスついでに書くと、こういったマスコミの地道な活動により、最近は男性を男子と呼ぶ女性が増えてますが、「男性をどう呼ぶか?」って、女性を判断するバロメーターにはなります。あくまで僕の基準ではありますけども、その「上から目線(笑)」を書いてみると……。

「男」か「男の人」なら可かな。普通です。「男性」はちょっと堅苦しいけどまあ許容範囲でしょう。「殿方」や「オス」とネタっぽく呼ぶのはおもしろいからありです。でも、「メンズ」や「男の子」になるとちょっと鼻で笑わざるを得ない。で、「男子」と呼ぶ女性は、すみませんがイタタタタ。ギャグで言ってるならシニカルで自分好みなんだけど、本気で言っちゃうとアウトです。痛すぎます。今風に言うと「イタージョ(痛女)」ですかね。

僕みたいな痛男(イタメン)が、世間の痛女(イタージョ)をバカにするなんて、「目くそ鼻くそを笑う」ということわざの存在に感謝するほかありません。先人の言葉には含蓄がある。

って、ちょっとマジトークしすぎたなぁ。僕としたことが、いつになくムキになってしまった。あっ、これにならえば「ムキ男子」でしょうか。と、また下ネタになっちゃった。念のため、ピンとこない人のために、どのへんが下ネタなのか説明しますと……。いや、やっぱ、それはベールに包んでおこう。

サラリーマン川柳(笑)

毎年、保険会社が企画している「サラリーマン川柳」をご存じですか。世のお父さんたちには受けがよく、昨年の作品であれば、「しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ」「ひさしぶり ハローワークで 同窓会」「ぼくの嫁 国産なのに 毒がある」がベストスリーだそうです。でもあれ、まったく笑えないんだけど……。

「シャレにならないから笑えないよ」ではなく、「全然おもしろくないから笑えないよ」です。いや、まじで、どこにどうおもしろさを感じればよいのか途方に暮れます。むしろ嫌悪感が先に立つのは否めない。

笑いどころなんて人それぞれだから、「どこがおもしろいの?」って疑問を呈するのはヤボなんだろうけど、例によって「なぜ世間ではおもしろいとされているのか」を考察(という名の妄想)してみよう。

確かに「うまいこと言ってるなぁ」と感心はします。でも笑えない。どうしても寒い。

「このオレに あたたかいのは 便座だけ」
「減っていく ボーナス・年金 髪・愛情」
「昼食は 妻がセレブで 俺セルフ」

過去の作品からは、「家族のためがんばって働いてるのに、妻にも娘にもけむたがられるサラリーマン」を演じて自虐する傾向が見て取れます。しかも、「今どきこんなオヤジいるのか?」と突っ込まざるを得ない古典的なサラリーマン像。仕事帰りに屋台で一杯ひっかけて寿司折りを持って千鳥足での帰宅途中に立ちションしてたら自転車に乗ったおまわりさんに注意されちゃうような、そんなステレオタイプなオヤジです。

寒く感じる理由はこのあたりですかね。自虐が寒いのと、視点がやたら古風なのが寒いのと、あとは、皮肉は皮肉だけど健全なラインを守ってるのがあざとく見えて寒いのかな、たぶん……。

いつも通り憶測で結論付けてみます。ステレオタイプな像の自虐が受けるのがサラリーマン川柳なのだけど、僕から見るとあまりにも卑屈すぎて気持ち悪いから嫌いだ……これでどうでしょうか。今はまったくおもしろく感じないけど、今後、サラリーマン川柳で笑えるときがくれば、それは自分が年をとったってことでしょう。願わくは、そんな日が来ないことを祈ります。

さて、結論が出たところで話を変えて、「サラリーマン川柳」ならぬ「独身川柳」なんてどうでしょうか。じつは最近、川柳に触れる機会があって、川柳って意外におもしろいな~と思ってる次第です。テーマを自分で決めるのはどうかと思いますが、細かいことは置いといてここで一句。

「女の子 話しかけても 逃げられる」
「『非婚派だ!』 でも本当は 妻ほしい」
「左手と 愛し合うのは もうあきた」

いかがですか。「強がってても、じつは彼女がほしいし結婚もしたいんです。でも女の子に相手にされなくてさみしーっ!」という、これもステレオタイプな独身男性を演じてみました。女性を持ち上げるような感じで。

「『子はいいよ♪』 言ってる彼が こわい~よ」
「守りたい あいつは嫁を オレ金を」
「スイーツや つわものどもが 夢のあと」

既婚者や女性を皮肉の対象として、「独身最高!」なノリで本音を書くと微妙ですね。やっぱり、サラリーマン川柳と同じくステレオタイプな独身像を前面に出すのが無難でしょうか。しかし、自分で考えて自分で批評するだなんて、いくら僕が一人遊び好きとは言え、むなしさの極致ではないだろうか……。まあいいけど。

いずれにしても、川柳ってそもそも「ゲラゲラ笑えるほどおもしろい」ものではなく、「クスッと鼻で笑う」程度のものではないかと疑念がもたげてきました。「これめっちゃおもしろいじゃん!」と腹をかかえて笑える川柳、どなたかご存じでしたら教えてください。って、そういや、こういうのが得意な先輩がいました。何せ彼は「元ハガキ職人」だからねえ。

そんな彼に、「サラリーマン川柳っておもしろくないですよね?」と聞いてみたら、「いや、おもしろい」と想定外の答えが返ってきたところで終わります。うーん、サラリーマン川柳って奥深い。

2010年1月26日火曜日

伊予路に春を呼ぶ椿さん

「今年は椿さんが遅いから、暖かくなるのは遅いかもねぇ~」などと、愛媛県民ならではのあいさつが飛び交う時期になりましたね。「伊予路に春を呼ぶ」とも言われている椿まつり、今年は2月20日から開催されるそうです。

で、僕の主張はだいたい読めてるでしょうが、これ書かないとブログのネタがないため言っておくと、「椿さんと暖かくなる時期は全く関係ないじゃん」です。

「本日はお日柄もよく」と同じく、当たり障りのないあいさつで便利なのはわかるけども、これ関連の社交辞令を聞くたびに「なワケねーだろ」な思いが心中を去来する……。

もし、椿まつりが終わって暖かくなれば「椿さんが終わって暖かくなったねぇ」であるし、終わっても寒ければ「椿さんが終わってそろそろ暖かくなるねぇ」であるし、椿まつりを待たずして暖かくなってれば「椿さんが終わってもっと暖かくなるねぇ」であるし、結果論でどうとでも言えるのではないのか。

そんなにムキにならずとも、「椿さんが終わったのに寒いですねぇ。あはは~」と適当に笑ってれば社会は円滑に回るのかもしれませんが、このあいさつを使う人にはあまり関わりたくない。たぶん相性は最悪です。理由は……そうだな、「社交辞令の選択の価値観の相違」とでも申しましょうか。「の」が三つも続いて変な文になったけど、こういった細かい部分は相性において重要だと思います。まあ、別にいいんだけどね……。

そんなことよりも、「伊予路に春を呼ぶっていうか、三十路に春を呼んでください!」と、婚活中の自分がうまいこと言ったつもりで書いてみましょうか。「三十路」は30歳代ではなく30歳だけを差すのだけど、細かいことは置いといて。ああ、本当に、春の季節は黙ってても来るのに、自分の春はなかなか来ないんだなぁ……。

あ、もし、「椿」という名前の女性と出会えたならば、それがたぶん運命の人でしょう。三十路に春を呼ぶ椿さん……って、うわー、くだらない。そして寒い!

あまりに寒いので、早く暖かくなるよう、椿まつりの到来に期待です。

2010年1月3日日曜日

サプライズハラスメント

ここ数年の風潮なのかどうか、結婚式や誕生日など記念日を祝う会で「サプライズ」なる儀式をよく見ます。祝われる当人を驚かせるために計画して、「びっくりした!でも、ありがとう!」と言わせてサプライズ大成功! らしいのですが、当人は本当に喜んでるのか疑問でなりません。

サプライズを仕掛ける側は、喜んでもらいたい気持ちで実行するわけです。そうなると当人としては、大して嬉しくなくてもその気持ち(善意)を踏みにじるわけにいかないから大げさに驚かないといけないし、嬉しくなくても喜んだふりをしなければならないのではないか……。僕はこれ、「善意の押し付け」という暴力に見えます。

相手を喜ばせようと思ってしたことが、相手にとって全然嬉しくないケースは世の中にいくらでもあるのに、一般的なサプライズはそれを許さない高圧的なオーラをまとってるように見えます。「え? あなたのためを思ってやってるのに、もしかして嬉しくないの?」「い、いえっ。大変嬉しゅう存じます。ははーっ、ありがたき幸せでございます…」みたいな。

物事をどうとらえてどう受け止めるか。感受性は人それぞれなのに、なぜサプライズの場合はそれが無視されるのか……。

例えば、このブログを読んで、「この人って性格悪いよね」と受け止める人もいれば、「同意できる!」と首を縦に振る人もいるだろうし、「休日にしこしこ長文書いて、他にやることないの?」や「無理して屁理屈こねて疲れませんか?」と同情の念を覚える人もいるかもしれません。でも、それは当たり前なんです。どう感じるかは人それぞれなんですから。しかし、サプライズに関してはなぜかその「当たり前」が踏みにじられてると思う。周りが喜ばせようとしたことでも、当人は非常に迷惑かもしれない……この当たり前の発想はどこかに飛んでってるのでしょうか。

この構図はセクハラと同じに見えます。行為うんぬんではなく、「相手が望まない言動」がセクハラなのですから。例えば、僕が職場の女性にプレゼントをあげたとします。こちらは好意でしたことでも、向こうが「嬉しい」と思うか「セクハラだわ!」と思うかは女性側の主観で決まりますよね。それと同じだと思うんだけど。「あなたへのサプライズ」と言われて、喜ぶか不快感を示すかは当事者次第なのに、喜ぶことだけを強要してるこの行為は、「サプライズハラスメント」略してサプハラとでも名付けましょうか。

そもそも、これだけサプライズが一般的になった昨今、当人もある程度は予測してるはずです。ライブにおけるアンコールみたいなものですよね。なのに、「やっぱり! あると思ってたよ」といった反応は許されず、全然知らなかったふりを演じなければならない。役者ならともかく、素人にそんな茶番を強制的に演じさせるなんて、罪深い行為だと思う。

いっそのこと、「13時からサプライズ」のようにプログラム表に組み込んでおけば解決しますよ。「13時からサプライズを実行しますので、当事者は驚く準備をお願いします。できるだけ感情を込めて大げさに驚いてくださいね」と司会者が最初に宣言しておけば、周りも変に気を遣う必要がないし、何より寒い寸劇を演じなくて済む当人が一番喜ぶのではないでしょうか。

そんな感じで、僕はサプライズをするのもされるのも居合わせるのも嫌いなので、来たるべき自分の結婚式ではサプライズとかやめてください。とは言え、十中八九結婚できないだろうから、いらぬ心配だとは思いますが……。あ、招待した人が誰も来なかった! なんてサプライズはあるかもしれませんね。

で、なんでこんなぐだぐだと書いてるかと言えば。昨日、誕生日プレゼントを買ったんです。大人可愛い姫系ステキ女子な幸せハッピー愛されガールな職場の後輩へ、いつもお世話になってるお礼に差し上げようとしてるんですが、いきなり渡してしまうと僕の嫌いなサプライズになってしまうんですよね。だから、昨日のうちに会社の机に置いときました。

でもそれじゃ、月曜に出社して驚かれる(=サプライズ)かもしれないから、プレゼントを机に置いてますので月曜に持って帰ってください……とメールしときました。中身も、事前に欲しいものをリサーチして、実際にそれを買うと伝えてるから、いざ開けてびっくり(=サプライズ)もないとは思います。たぶん大丈夫なはず。

まさか、ゴミ箱に捨てられてたり、僕の机に返されてたりするサプライズはないでしょうが……。