ここ数年の風潮なのかどうか、結婚式や誕生日など記念日を祝う会で「サプライズ」なる儀式をよく見ます。祝われる当人を驚かせるために計画して、「びっくりした!でも、ありがとう!」と言わせてサプライズ大成功! らしいのですが、当人は本当に喜んでるのか疑問でなりません。
サプライズを仕掛ける側は、喜んでもらいたい気持ちで実行するわけです。そうなると当人としては、大して嬉しくなくてもその気持ち(善意)を踏みにじるわけにいかないから大げさに驚かないといけないし、嬉しくなくても喜んだふりをしなければならないのではないか……。僕はこれ、「善意の押し付け」という暴力に見えます。
相手を喜ばせようと思ってしたことが、相手にとって全然嬉しくないケースは世の中にいくらでもあるのに、一般的なサプライズはそれを許さない高圧的なオーラをまとってるように見えます。「え? あなたのためを思ってやってるのに、もしかして嬉しくないの?」「い、いえっ。大変嬉しゅう存じます。ははーっ、ありがたき幸せでございます…」みたいな。
物事をどうとらえてどう受け止めるか。感受性は人それぞれなのに、なぜサプライズの場合はそれが無視されるのか……。
例えば、このブログを読んで、「この人って性格悪いよね」と受け止める人もいれば、「同意できる!」と首を縦に振る人もいるだろうし、「休日にしこしこ長文書いて、他にやることないの?」や「無理して屁理屈こねて疲れませんか?」と同情の念を覚える人もいるかもしれません。でも、それは当たり前なんです。どう感じるかは人それぞれなんですから。しかし、サプライズに関してはなぜかその「当たり前」が踏みにじられてると思う。周りが喜ばせようとしたことでも、当人は非常に迷惑かもしれない……この当たり前の発想はどこかに飛んでってるのでしょうか。
この構図はセクハラと同じに見えます。行為うんぬんではなく、「相手が望まない言動」がセクハラなのですから。例えば、僕が職場の女性にプレゼントをあげたとします。こちらは好意でしたことでも、向こうが「嬉しい」と思うか「セクハラだわ!」と思うかは女性側の主観で決まりますよね。それと同じだと思うんだけど。「あなたへのサプライズ」と言われて、喜ぶか不快感を示すかは当事者次第なのに、喜ぶことだけを強要してるこの行為は、「サプライズハラスメント」略してサプハラとでも名付けましょうか。
そもそも、これだけサプライズが一般的になった昨今、当人もある程度は予測してるはずです。ライブにおけるアンコールみたいなものですよね。なのに、「やっぱり! あると思ってたよ」といった反応は許されず、全然知らなかったふりを演じなければならない。役者ならともかく、素人にそんな茶番を強制的に演じさせるなんて、罪深い行為だと思う。
いっそのこと、「13時からサプライズ」のようにプログラム表に組み込んでおけば解決しますよ。「13時からサプライズを実行しますので、当事者は驚く準備をお願いします。できるだけ感情を込めて大げさに驚いてくださいね」と司会者が最初に宣言しておけば、周りも変に気を遣う必要がないし、何より寒い寸劇を演じなくて済む当人が一番喜ぶのではないでしょうか。
そんな感じで、僕はサプライズをするのもされるのも居合わせるのも嫌いなので、来たるべき自分の結婚式ではサプライズとかやめてください。とは言え、十中八九結婚できないだろうから、いらぬ心配だとは思いますが……。あ、招待した人が誰も来なかった! なんてサプライズはあるかもしれませんね。
で、なんでこんなぐだぐだと書いてるかと言えば。昨日、誕生日プレゼントを買ったんです。大人可愛い姫系ステキ女子な幸せハッピー愛されガールな職場の後輩へ、いつもお世話になってるお礼に差し上げようとしてるんですが、いきなり渡してしまうと僕の嫌いなサプライズになってしまうんですよね。だから、昨日のうちに会社の机に置いときました。
でもそれじゃ、月曜に出社して驚かれる(=サプライズ)かもしれないから、プレゼントを机に置いてますので月曜に持って帰ってください……とメールしときました。中身も、事前に欲しいものをリサーチして、実際にそれを買うと伝えてるから、いざ開けてびっくり(=サプライズ)もないとは思います。たぶん大丈夫なはず。
まさか、ゴミ箱に捨てられてたり、僕の机に返されてたりするサプライズはないでしょうが……。