2009年12月23日水曜日

男性が車道側を歩くのはマナーか否か考察という名の妄想

男性が車道側を歩くのは、マナーなの?

これ、よく聞きませんか。男女が並んで歩く場合、男性は女性を守るため、車道側を歩くのがマナーなのであると。

当ブログの読者様であれば、この後の展開はだいたい読めるとは思いますが、その予想通りに展開していく所存です。期待は裏切りません。そんなわけで。嫌いなんです! きぃ~っ(これひさしぶりに使った気がする)

はっきり言って、この行為の意味がわかりません。理解不能すぎます。「女性を守るため」とは言っても、守るために戦う相手は「車」なわけで、こんなの、勝てるわけないじゃないですか。

ダンプカーとか極端な例を出すまでもなく普通の軽自動車であっても、並んで歩いてるところに突っ込まれたら、車道側でも反対でも関係ないです。二人とも病院送りもしくは死んでもおかしくありません。こんな凶悪なものを相手に、「女性を守る!」なんて鼻息を荒げる男性がバカに見える僕がおかしいのだろうか。

「マナーじゃなくて、気持ちの問題です。車以外にも危険が存在する中で、そういったさりげない気遣いが嬉しいんですよ。それを意識せず自然にできる男性は素敵だと思います。こんなことでギャーギャーわめくなんてみっともないよ」なんてマジレスが聞こえてきそうな展開だ。「お前がモテないからひがんでるだけだろ!」って声も聞こえます。でも、でもっ、僕は嫌いなんです! きぃ~っ(もういいですか)

自分はこう思うのです。男性は「女性を守ろうとする俺ってカッコイイ!」、女性は「アタシって大事にされてる☆」であり、結局は自己満足に過ぎないのではないかと。で、そんな茶番が好きな二人だからこそ惹かれあうわけです。「割れ鍋に綴じ蓋」ってやつですね。よっ! ナイスカポー!

ところで、車道側に立つ男性って、タイミングはどう計ってるんでしょうか。「そっちは危ないから僕が歩くよ」と宣言して車道側に位置するの? もしくは、さりげなく車道側にポジショニングできるよう、普段から女性の動きを観察して予測するんでしょうか。素早く車道側をキープするための練習もしてたりして。想像すると笑えます。

負け惜しみみたいにまだ続けると、もし僕が女性だったら、男性にさりげなく車道側に立たれたら「さ、寒い……」と思いっきり引くと思うんだけど。あんた何やってんの、しらじらしいんですケド、です。こうやって考える人もいるはず。そんな女性に出会える日を待っています(たぶん一生巡り会わないとは思うが)。

それよりも、安全面を考えるのであれば、縦に並んでみてはどうでしょうか。小学生の集団登校のイメージで。横に並ぶと、膨らむ分だけ危険が増すのは当たり前の話です。合理的に考えて、縦一列の方が安全ではないの?

どちらが前を歩くかですが、「女性を守る(笑)」観点に立った場合、男性が前を歩くと女性が見えないので、後ろに位置するのがよいと思われます。ムーンウォークができるなら話は別だろうけど、街中でそんな目立った行動をとると、女性が恥ずかしい思いをするかもしれませんから、現実的な選択肢ではないです。やはり、女性には前を歩いてもらえば安全でしょうか。

この場合の欠点は、歩いてる途中に会話ができないこと。前後に並ぶと、よほど大声を張り上げないと声が聞こえませんので……。まあでも、歩いてるときぐらいは会話なくてもいいのではないでしょうか。どうせカポーの会話なんて、あれ食べたこれ買ったどこ行ったとか、かわいい~っとか、非常にどうでもいいようなものが中心であるし、はあ、ほお、へえ、ふーんかわいいよね、と生返事で事足りるし、省略しても問題ないと思われます。

どうしても会話したいのであれば、縦でも横でもなく、上下に並べば解決しますよ。いわゆる肩車。どちらが上に乗るかが問題ですが、男性が上に乗ったほうが、「前方ヨリ車接近中!」と、遠くの危険を察知できて望ましいのでは。って、こんなくだらない空想するのが好きな人ですみません。

おっと、また長々と書き綴ってしまった……。とどのつまり、したい人は勝手にしてればいいじゃんってところです。僕は寒い行為だと思いますけども。ていうか、今どきこんな古臭いテーマで書いてしまう自分が一番寒い気もするが……。

さて、明日はクリスマスです。かくなるうえは、街で一人で歩いてる女性に近寄って、数メートル間隔を開けて並走(並歩?)する「さりげなく車道側を歩く俺ってカッコイイだろごっこ」をして遊ぶとするか。どなたか、一緒にいかがですか……。

2009年11月21日土曜日

いい夫婦の日(笑)

明日、11月22日は「いい夫婦の日」らしいです。結構知れ渡ってますよね。で、毎年この言葉を聞くたびに沸き起こっていた違和感を、ようやくカタチにできそうなので書くことにします。「違和感をカタチにする」の言い回し自体が違和感ではありますが、他に適切な表現が見つからないので……。

さて、「いい夫婦の日」には公式サイト?もあるようです。そこから引用すると、「普段パートナーに伝えられない想いを伝えたり、気持ちをカタチにして贈ったりする、いいきっかけにしていただきたいと思います。そして『いい夫婦の日』が、夫婦でお互いを見つめ合い、絆をさらに深める素敵な一日になることを、私たちは願っています」だそうで。11月22日の「1122」が「いい夫婦」と読めるから制定されたとのことです。

別に、「いい夫婦」自体を否定するつもりはありません。むしろ素晴らしいじゃないですか。でも、こんな日をわざわざ作らなくたって、常に仲良くしてればいいだけであり、「普段パートナーに伝えられない想いを伝えたり…」って、そんなの、この日を待たずして伝えろよと。「普段伝えられない問題を、次回の会議でお伝えします」などとのたまうリーマンみたいなものです。いやいや、会議を待たなくてもいいから、いますぐ伝えろって!

それに、偽善臭がそこかしこに漂っているのがまた寒い。「夫婦でお互いを見つめ合い、絆をさらに深める…」だなんて、言われなくてもわかってる話を、ことさら美談に仕立て上げようとするのに鳥肌が立ちます。24時間テレビの「愛は地球を救う」に通じるものがありますね。「ねぇねぇ、僕たちっていいことしてるよね」「そうそう!いいことしてるよ。ほら、いいことも言ってるよ!」「うわぁ、いいこと言ってるね!」「私も私も!いいこと言うよ!」「すごいじゃん!それめっちゃいいことだって!」「さぁ、みんなでいいこと言い合おうよ!」みたいな、予定調和的な「いいこと」の大合唱には耳をふさぎたくなります。それが「いいこと」なのは誰しもわかってるわけであって、改めて口にする必要があるんですか。とどのつまり、いい人だと思われたいだけじゃん。

いい夫婦の日も、同じような構造に見えます。「夫婦でお互いを見つめ合い、絆をさらに深める…」だの、抽象的な「いいこと」を振りかざして、いったい何になるというのか。「今日はいい夫婦の日だから、お互いを見つめ合い、絆をさらに深めようよ!」と、パートナーに向かって力強く宣言すればよいのでしょうか?

明日がいい夫婦の日であれば、明日以外の364日はいい夫婦じゃなくてもいいんだなぁ……と書き進めるごとに、自らが結婚できていない腹いせに、いい夫婦に悪態をついてるだけの負け惜しみに聞こえてくるのは気のせいか……。ええ、それは別に否定しません。どうせ、僕のようなつまらない男は、世のカップルをうらやみつつ、休日にしこしことブログを更新するのがささやかな楽しみなんだ。

ちなみに、この「しこしことブログを更新する」の「しこしこ」は、「持続的に、地道にするさま」な意の副詞です。でもどうしても、しこしこはあっちを連想してしまう……ってことでひらめいたのですが、本日11月21日は、「1121」で「いいじいの日」と呼べるのではないか……。

「いいじいの日」だなんて、じい大好きなお好みソースさんにふさわしい日じゃないですか……。

「21」をじいと読むのは少し強引じゃないかとか、いいじいって具体的にどんなのですかとか、そもそもこれは「ひらめき」たり得るのかとか、細かいことはおいときましょう。「いいじいの日」……いいじゃないですか! 語感からして気持ちよさそう。それに、「普段パートナーに伝えられない想いを伝えたり、気持ちをカタチにして贈ったりする」の趣旨も共有できます。ようするに、自分の息子に対して、普段と違う刺激を伝えて、何だったら道具を使えってことですよね。マジで、日本記念日協会に申請してみようか……。いいじいだけに、イージー(Easy)に承認されたりして……なんちゃって。あはっ。

ところで、テニスの選手は利き腕だけ太くなるって話がありますけど、最近僕も、左腕が太くなってきたような気がします。長年にわたって酷使(まさにコク使!)してきたのが原因であり、このペースだと、ますます太くなりそうだ……。今後、初対面の人と「左腕が太いようですが、テニスされてたんですか? 」「いえ、テニスっていうか、○ニスをたしなんでて…」なんて会話が交わされるおそれも浮上してきました。どうしよう。これから徐々に右手へシフトしていくべきか……。

それはともかく、今年から11月21日を「いいじいの日」とし、パートナーである左手さんに感謝の意を伝えることにします。いや、それ以上に、普段温かく見守って下さる紙様にも感謝ですね。「紙様」とはもちろんティッシュ様のことです(いつもお世話になっております)。いかなるときも優しく受け止めて下さる吸収力に感謝。ありがとうございます。

おお、紙(かみ)よ、手(しゅ)よ、今宵も我を見守りたまえ。○ーメン。

2009年10月8日木曜日

お祭り男

今日は地方祭だか何だか知らないけど、朝からワッショイワッショイうるさかったです。なんて書くと、祭り好きの人に怒られてしまうのでしょうか。怒られないまでも、気を悪くさせるかもしれません。いや、その前に、祭り好きな人はこのブログ見てないはず。そうか。じゃあいいや。

さて、地方祭とは言っても、お祭り嫌いの僕に言わせると「痴呆祭」であり、全く関係のない世界です。なのに、それなのに、地域は祭りムード一色のため、嫌でも関わってしまう現状が何ともやるせない。今朝、雨の中カッパを着てバイクでの通勤途中に、狭い道で神輿担いだ連中に遭遇してしまい、後ろをノロノロと走らざるを得ない状況に追い込まれました。何なの、こっちは急いでるってのに、堂々と道路に広がってワッショイワッショイ、ガラの悪そうなお兄さんたちと、かわいい盛りのお子様たちがズラズラと。そこのガキ、そこのけそこのけバイクが通る! と、ひき逃げは未遂に終わりましたが、朝から腹立たしかったのは事実です。

ところで、「お祭り男」って言葉がありますね。なぜか辞書に載ってないのですが、何となくのイメージとしては、お祭り時にワイワイ騒ぐ男性のこと、転じて大舞台になるほど燃える男性を差すのでしょうか、たぶん。お祭り嫌いで、大舞台やプレッシャーに弱い自分とは正反対の人であるのは確かです。で、前置きが長くなりましたけども、僕はこの「お祭り男」が嫌いです。言葉自体ではなく、そう定義される人ですね。そもそも、お祭り男っていったい何なの。と考えてみるに、何となくですけど、「男らしさ」を前面に出した人というイメージがあります。野球で言えば清原とか。

あっ、いきなり結論を出してしまった。「男らしさ」と対極に位置する自分としては、お祭り男が嫌いなのは必然であるのだと。あらら、話が終わってしまったではないですか……。

無理やり話を続けるとすれば、「お祭り男」はかっこいいイメージがありますが、一文字伏せて「お○り男」にすると、途端に威厳がなくなって見えませんか。ていうか、何だかものすごく親近感がわいてきて仕方ないのはなぜだろうか……。よし、決めた。僕は今日から「お○り男」の異名を奉ります!

2009年10月3日土曜日

このままでよろしいでしょうか?

コンビニでアイス買ったら、店員さんから突然「このままでよろしいでしょうか?」と聞かれてびっくり仰天。全然面識がないのに、この人は僕が自堕落な人生を送ってるのをなぜ知っているのだ。そりゃ将来を考えると、このままでよろしいとは全然思ってなくて、仕事はもっとがんばらなきゃだし、貯金もしなきゃだし、童貞も卒業しなきゃだし、日々精一杯生きてるかと問われると自信がないんです。店員さん、僕のことを気にかけて下さってありがとう。明日からもガンバリマス。

そんな冗談はさておき、タイトルの「このままでよろしいでしょうか?」について。コンビニで簡単な買い物をした際に「このままでよろしいでしょうか?」と聞かれるたび、心中に去来する「ウザイ」という感情を抑え切れなくなり、ついにここへ書くに至った次第です。ていうか、あれって必要ないんじゃないでしょうか。黙って袋に入れてくれりゃいいじゃん。

ガム一つだけとか、缶ジュース一本だけとかなら分かります。でもやっぱり、雑誌レベルの買い物になると袋に入れてほしいところなんですよね。と、こういった感覚は人によって違うわけだから、一律で袋に入れて下されば問題ないのになーと主張してみよう。

この前コンビニで、ちょっとアダルトな雑誌、いわゆるエロ本に近い本をレジに持って行って、「このままでよろしいでしょうか?」と聞かれたのは驚きでした。いや、ちょっと待て、こんなワイセツブツをそのまま持って帰らせるつもりかと。「『このままでよろしいでしょうか?』と確認するあなたの頭はこのままでよろしいでしょうか?」と切り返したい衝動を抑えて、「すみませんが、袋に…」とお願いして事なきを得ましたが。

最近はマクドナルドでもそうですね。持ち帰りする場合、袋が二つまでだと紙袋のまま手渡されて、「このままでよろしいでしょうか?」と来ます。あの紙袋は取っ手がなくて持ちにくく、紙袋を二つ受け取ると両手がふさがって不便だから、一つにまとめるために「すみませんが袋に入れて下さい」と、この場合もこちらから言わないと手提げ袋はもらえません。ああ、面倒だこと。

これらの風潮って、やっぱり「エコ(笑)」なんでしょうか。エコはエコで別に否定はしないけど、やりたい人が勝手にやってて下さればいいのに……。僕から言わせると、昨今の薄っぺらなエコブームが「このままでよろしいでしょうか?」って感じです。

にしても、「このままでよろしいでしょうか?」は、やっぱり違和感が残るなぁ……。「このままではよろしくないです派」の僕としては、「このままでよろしいでしょうか?」と確認されるたび、袋に入れてほしい旨を伝える必要が生じるわけです。なので、「このままではよろしくないですよね?」と否定形で聞いてもらえると、「はい」のひと言で済むから楽なんだけど。って、まあそこまでは言うまい。今後もせっせと「袋に入れて下さい」と唱え続けることにします。ああ、あれですね、「すみませんが袋に入れて下さい」と書いたプラカードを自作して、高校野球の入場行進のように高く掲げてコンビニに行けば伝わりやすいか。

あっ、ふとひらめいた。結婚には大切な三つの袋がある、って言い回しがありますが、これにも応用できそう。すなわち、人生には大切な三つの袋があり、それは胃袋と給料袋とレジ袋なのである! なんちゃって。あはっ。

と、しょーもないまとめ方をして終わりそうな勢いですが、このままでよろしいでしょうか?

ティッシュ貸してもらえませんか。

「ティッシュ貸して」とお願いした場合に、「使ったら返してね(笑)」などと言ってくる人、最近は見ないけど昔たまにいたよなぁ。って、それ僕のことじゃないですか!

と、今日、ある人に言われて思い出した次第です。これ、僕が高校生のときに乱発してたネタであって、誰かに「ティッシュ貸して~」とティッシュをもらい、鼻を思いっきりかんだあと、「じゃあ返すわ~(笑)」と、べとべとになったティッシュを返そうとする、今考えると死ぬほどくだらない行為を働いていた自分は死ねばいいと思います。念のため記しておくと、要望を正確に伝えるには「ティッシュちょうだい」が適切なのであって、「貸して」と言ってしまうと返す義務が発生するのである。と、言葉尻をとらえた屁理屈の一種です。

この発言って、「これあげるよ~!」「えー、欲しい欲しい!」「欲しいの? じゃあ、ハイ! あげた!」と、手を高く上げる行為に通じるものがあって、許されるのはせいぜい小学生まででしょう。こんなことを高校生になってもしていた上に、大人となった今でもたまにやってしまう自分はマジで死ねばいいのに。いったい、どういった了見なんですか。

それはさておき、僕はティッシュ大好き人間であるのは言わずもがなの事実でありますが、この「ティッシュ」って、メーカーによっては「ティシュー」と表記されてるのはご存じでしょうか。確か、エリエールやクリネックスは「ティシュー」のはず、と調べてみたところ、もともと英語では「TISSUE」であり、正確に発音すれば「ティシュー」となるのを、日本語として発音しやすい言葉に置き換えて「ティッシュ」となったらしいです。なので、ティッシュ大好き人間としては、「『ティシュー』貸して~(笑)」とすれば、屁理屈が重なってより快感ではないでしょうか。

おっと、屁理屈ついでにもう一つ重ねると、ティッシュ、いや、ティシューって、実際は2枚綴りになってるわけで、箱からティッシュを取り出す際、1枚だけ取ったつもりでも、実際は薄いティッシュが2枚重なっているのです。なので、「ティッシュ1枚貸して」と言われた際には、箱に手を突っ込んでティッシュを取り出し、おもむろにペリリと慎重に引き剥がし、薄くなった1枚を「はい、ご要望のティシュー1枚で~す(笑)あ、別に返さなくていいからねぇ(笑)」と手渡すのが、ティッシュのやり取りにおける屁理屈の究極系であり、相手をイラつかせる最善の方法ではありますまいか。と、夜中に無表情でキーボード叩いている自分は死ねばいいのにと心底思います。

ところで、夜もたけなわですし、誰かティシューを1枚貸してもらえませんか。

2009年6月3日水曜日

かゆいところはないですか?

美容院でシャンプーしてもらうとき、「かゆいところはないですか?」と聞かれますよね。定番の質問ではありますが、この問いかけに対し、いまだかつて「ないです」以外の返答をしたことがありません。

それはなぜかを考えてみるに、かゆいところ自体がないわけではなく、かゆいところはあるんだけど、それをどのように伝達すべきかわからないので……といった理由でしょうか。あれって、どうやって伝えればいいんですかね。「かゆいところはある、でも、それをどう伝えればいいのかわからない、このもどかしい気持ちこそがかゆいところなんです」……と切り返して失笑を買ってみてもいいかもしれませんが。

普通に考えれば、かゆい部分を指差すのがよいわけですが、指で差せるなら自分でかけるじゃん、という、余りにも単純ながら奥深い矛盾をはらんでしまいます。「ここです」と自分が指で示した箇所を店員さんにかいてもらう……って、かなり間抜けに思えるのは僕だけでしょうか。

「あ、そこじゃなくて、もうちょっと上……あっ、もうちょい、ああっ!そこそこ!あぁ~」って感じに、文字にすると何だかヒワイではありますが、こういった風にお伝えするのがベストなんでしょうか。というか、これ以外ないですねたぶん。上下左右を口にして店員さんに伝えるのが、「かゆいところはないですか?」に対する適切な返答である……こう結論付けていいと思われます。ただ、僕のように内気な人間は、こんなにも饒舌に返答できないので、もしかゆいところがあったとしても、不本意ながら無いことにしてしまうのである……ってことで。

ところで、この「かゆいところはないですか?」に、頭以外の箇所を答える人がいる……というのは、都市伝説なんでしょうか。「かゆいところはないですか?」「うーん、背中(笑)」みたいな感じですかね。僕は本当にこういった類いの人が嫌いなんですけど、実際にこんなことを言って悦に入る人が地球上に存在するのであれば、ぜひ一度お目にかかりたいものです。

どうでもいいけど、「かゆいところはないですか?」って、見方によれば変な問いかけかもしれません。「かゆいところはないですか?」は、「はい、いいえ」で答えるべき質問であるのだと。「かゆいところはないですか?」「いいえ」「……」「……」「……え?」「だから、あります」「それはどこですか?」「はい、それはここです」といった展開になってもおかしくないわけです。

そう考えると、最初から「かゆいところはどこですか?」と聞けば解決する問題ではありますが、その場合、かゆいところがあるという前提に立ってしまい、人によっては不快感を抱くかもしれません。「なにぃ~? 俺がいつかゆいって言ったんだよ」みたいな。以上を踏まえると、「かゆいところがもしあるとすれば、それはどこですか?」と聞くのがベストですね。ですよね。ですかね。

あるいは、「かゆいところはないですよね?」と聞いてみるのはどうなんでしょうか。「~ないですか?」よりも、「~ですよね?」と問いかける方が、相手はびびって「は、はい」と答える確率が高いのではないかと……。「かゆいところはないですよね?」「は、はい」「お湯は熱くないですよね?」「は、はい」「首はきつくないですよね?」「は、はい」といった感じでしょうか。もっとも、それなら最初から聞く意味ねーじゃんってところではありますが……

それはそうと、いま思い出した。僕が通ってる美容院の店長も、このブログ見てくれてるんだった……。何だか悪いなぁって気がしてきましたが、ネタはネタとして流して下さるものだとは思います。次に行ったとき「かゆいところはないですよね?」とか言われたら笑いますけども。

そんな感じで、かゆいところに手が届かない人がお届けしました。

男性は4千円、女性は3千円でお願いします

「男性4千円 女性3千円」のように、なぜか男性が割高になっている料金設定って、飲み会やパーティーにありがちですが、あれの意味がわかりません。理解不能すぎます。

よく聞くのが、「男性は女性に比べて飲み食いする量が多いから」という理屈です。でもこれ、飲み食いする量なんて人それぞれ違うわけだから、性別でひとくくりにはできないと思うんです。よく食べる女性も、あまり食べない男性もいるわけで。こう素朴な疑問を口にすると、「例外はあるけれども、普通は、男性は女性より多く食べるものである」という一般論を持ち出されるんでしょうか。でも、どうしても腑に落ちないんだよなぁ。

その理屈が通るのであればですよ。例えば、男女がホテルへ行ったとしましょう。一般的に、あれは男性より女性の快感の方が上だと言われてますよね。それを盾にとって、「あなたの方が気持ちいいんだから、多めに払ってよね」と言い出す男性みたいなものじゃないですか? これ、多く食べるから多めに払う、という理屈と同じ気がするんですが。この場合も、気持ちよさは人それぞれ違うわけだけど、前述のケースと同じくひとくくりにして一般論として論じてみました。あっ、念のため断っておきますと、この例えの男性は僕ではないです(たぶん)。

そんな冗談はさておき、料金の男女差というのは、個人同士の価値観に基づくべきものであって、男女差を是認する価格設定を堂々と打ち出すのはどうなのよ、と僕は主張したいのです。個人間であれば、別に男女差はあっていいと思います。だって二人の問題なんだから。前述のホテル代も然りだし、カップル同士であれば、男性がおごるとか常に割り勘するとか、逆に女性がおごるとか状況に応じてどちらかが払うとか、支払いのパターンはいろいろあるだろうし、そのへんの価値観が似ている者同士だからカップルになるとも言えます。そういった、個人の感覚に委ねるべきものを、社会的に(このケースだと主催側が)堂々と表に出してしまうこと、また、それに対して疑問を呈するのがはばかられる風潮に違和感を覚えるわけです。

これが通るのであれば、例えば「消費税上げます。男性は20%、女性は10%です」とか、「募金してます。男性は千円から、女性は5百円からお願いします」なんて事態にもなりかねません。これは極端すぎる話としても、「パーティーします。男性は4千円、女性は3千円でお願いします」と大差ないと思うのですが。うーん、僕は何か変なこと言ってるのかな……

はっきり言うと、これは差別ではないでしょうか。男女で料金差をつけるのは、「レディースデー」にも通じるところがあって、単なる男性差別だと思うのですが。このように「差別だ!」と声を上げると、ものすごい勢いで「器の小さい男」とレッテルを貼られる世の中ではありますけども、勇気を出して書いてみました。

ここまで書いてみると、「そんなに文句があるなら参加しなきゃいいじゃん」と自分に突っ込みを入れざるを得ません。そう、まさにその通りで、文句があるなら行かなきゃいいんです。でも、不満を抱きつつも参加してしまうのは、それ以上の価値を感じてるからでしょうか。パーティーの場合だと、やっぱり出会いがあるからですかね。不満という感情や理屈なんて、人間の欲望の前にはちっぽけな存在なのである。と、自分の行動を無理やり正当化してみます。

ていうか、例えば男女を同数揃えるパーティーの場合、単に、集まりが悪いほうを安くしてるだけじゃね? なんて考えが頭をもたげ始めたのですが……。も、もしかして、ここまで書いてきて、こんな単純な理由が結論になったりするのか。

2009年3月28日土曜日

よーし、4月1日はウソついちゃうぞ~

エイプリルフールをご存じですよね。4月1日にはウソをついてもいいという風習です。これが何となく嫌いで……

今年も、企業のサイトや個人のブログや、いたるところでエイプリルフールを楽しむネタが公開されるだろうし、日常においても、軽い冗談でゲラゲラと笑いあったりするのでしょうか。でも僕は、あの空気がちょっと苦手というか、違和感を覚えるというか。

だいたい、「ウソをつく」とわかってる日にウソをついたところで、いったい何が面白いのでしょうか。冗談を言う側は、相手を楽しませようとする意思は明白なわけで、となると、いざ自分が冗談を言われた場合、相手の気持ちを踏みにじることなく場を収めるには笑うしかありません。愛想笑いが苦手な自分としては、一年で最も愛想笑いが引きつる日にもなるわけです。あぁ、何てバイオレンスな日なんだ。

そもそも、「冗談」は万人に通じないものなんです。このブログも、普段から冗談を交えて書いてるけど、それが通じないこともよくあるわけだし(書いてる本人ですら、どこまで本気なのかわかんないので)。一般的にも、度が過ぎる冗談には「不謹慎だ!」と騒ぐ人もいるけど、不謹慎なネタが好きな人だって存在するわけだし。笑えるポイントは人それぞれなんだから、いくら「冗談を言って人を楽しませよう」と意気込んだとしても、相手を選ばないと失敗するんです。で、失敗は失敗で別にいいけど、4月1日に限っては、笑わせようとする対象を広げすぎてしまい、普段は接点のない相手まで巻き込んでしまう、という感じなのでしょうか。

例えるならば、エイプリルフールって、「(笑)」みたいなものですかね。冗談を言う側が自分で笑ってるだけの、究極の自己満足であると。あ~、たぶんそうです。僕が嫌いな「(笑)」にすごく似てます。そうか、これが違和感の原因だったのか。ということで、4月1日には、空気中に舞い散る花粉に交じって、「(笑)」がそこら中に飛び交っていると思われます。いつものように、花粉用マスクでガードできればいいんだけどなぁ……

てなわけで、以上の内容は冗談です。

2009年2月3日火曜日

何型に見える?

血液型を聞かれたときに「何型に見える?」と返す人をたまに見ますが、あれはどう考えてもウザイと思う。「いや、わからないから聞いてるんです」とは言えず、どう答えればよいのか途方に暮れます。

例えば、男女間、しかも初対面であればまだ理解できます。コンパなんかではよくありますね。「○○さんは何型ですか?」「えー?何型に見える~?」「うーん、A型?」という流れは自己紹介みたいなものだし、さして面白くもない寸劇……じゃなくて、どうでもいい茶番……でもないや、コミュニケーションの一環としては必要かもしれませんので……。とりあえずは、A型と言っとけば4割の確率で当たるわけです。

そもそも、「何型ですか?」という質問自体があいさつの延長であって、別に知りたいわけじゃないしどうでもいい、ってケースが大半ではないのかな……。それに対しての「何型に見える?」という返答、これぞまさに自意識過剰ってやつです。「俺って何型に見える?」「うーん、X型?」と、鏡に向かって話してろって感じですね。

ところで、僕って何型に見えますか?