2015年3月1日日曜日

日本語における助詞と副詞の重要性、且つ選択の瑕疵によって発生しうる曲解傾向について論理学観点から考察、或いは時間の無駄

パラパラのチャーハンってそこまで価値があるものでしょうか。いつも思うんだけど。要は味であって、パラパラだろうがベチャベチャだろうがおいしければ問題ないじゃないか。やたらとパラパラ加減のみを評価基準とする風潮には違和感を覚えてなりません。

とは言え、ラーメンやうどんなどの麺類になると話は別。いかにシコシコしてるかが肝であり、やわらかくなったフニャフニャの麺なんてあり得ません。シコシコしてるのがよくてフニャフニャは論外……って、ちんちんの話かよぷぷぷ! これを言いたかっただけですのでよろしくお願いします。ちなみに、うどんはぶっかけが好きですのであわせてよろしくお願いしたいところであります。

麺はシコシコが望ましいですが、「麺でシコシコ」とすると意味が違ってきて、カップラーメンを使った伝統的な自慰行為を連想するに至るため注意が必要である。と、日本語における「てにをは」、いわゆる助詞の重要性を訴えさせていただきます。女子に価値は無いけど助詞は大切なんつってぶぶぶっ! これも言いたかっただけですのでよろしくお願いします。

てなわけで、麺はシコシコに限るという話なのですが、じつのところはどっちでもいいのであり、思いついた下ネタをアウトプット(笑)したかっただけに過ぎません。いずれにしても僕はいまからシコシコするだけの話なので。MENはシコシコ。なんつってははははは! 今日も一日よろしくお願いします。